
――新連盟の発足は柔術の普及に役立つものだと考えていますか。
中井 う〜ん、分からないですね。日本には古流柔術もありますし。ブラジリアン柔術を柔術と呼ぶのはおかしいと言っている人がたくさんいることは知っています。僕自身、ブラジリアン柔術は柔術でなく、ブラジリアン柔術だと理解していますし。柔術とはスポーツのことを指していないでしょうから。古流の方が、ブラジリアン柔術を柔術と呼びたくない気持ち、それは私も理解できますし。ブラジリアン柔術は、マットの上でスポーツとして行われているものですから。
――今回の新連盟の発足に関して、柔術界でも日本人と日系ブラジリアンの間に壁があるという風に捉えていますか。
中井 なんていうのかな、組合みたいなものじゃないですか。名誉会長、顧問というような立場にブラジルの方がついて。自分たちは異国で生活している限り、その大変さを理解し、歩み寄っていく姿勢は持ち続けたいです。
――新連盟ができたことで、中井さんが長である連盟主催の公式戦の参加者が減るという危惧はありますか。
中井 影響は多少あるかもしれないですね。大会が同じ時期があったりすると。仕方ないことだと理解しています。我々はこれまでと全く変わりなく活動していきますし、さらに良くしていくためだけにやるだけですから。

▲新連盟について初めて公の場で語ってくれた中井祐樹・日本ブラジリアン柔術連盟会長(写真右)。中井は日本のブラジリアン柔術を黎明期から、プレイヤー、ジム経営者、そしてブラジル本部との連絡という面で支えてきた。写真は2005年ブラジル、リオデジャネイロで行われた世界大会(ムンジアル)で、愛弟子・佐々幸範が茶帯ペナ級で優勝したときのもの。IBJJF主催の世界大会、パラエストラの代表としてBJJFJ公認の黒帯を与える。ブラジリアン柔術界の核が見える一枚といえる。
■中井祐樹 Yuki Nakai
1970年8月18日、北海道浜益村出身
北海道大学中に高専柔術の流れをくむ七帝柔道を学び、その後、上京し修斗(当時はシューティング)で総合格闘家を目指す。
1994年11月 シューティング・ウェルター級王者(現・修斗世界ウェルター級王者)に。
1995年4月 バーリトゥード・ジャパン95でジェラルド・ゴルドー、クレイグ・ピットマンを下し、決勝でヒクソン・グレイシーと対戦。準優勝し。
ジェラルド・ゴルドーの反則攻撃により、右目を失明。数々の治療を試みたが、視力を回復するに至らず、総合シーンより引退。
当初は総合で日本が世界に勝つために、ブラジリアン柔術の道を志す。
1998年パンアメリカン柔術選手権茶帯ペナ級優勝、1999年ブラジル選手権(ブラジレイロ)黒帯ペナ級3位。
体重無差別のバーリトゥード・ジャパンでの勇敢な戦い、日本のブラジリアン柔術界のパイオニアとして世界中のファイター、柔術家の支持を得ている。
先日、活動10周年を迎えたパラエストラ代表。第2代日本ブラジリアン柔術連盟会長。
