「野性、ですかね」
抜群の当て勘、劇的な勝利を演出する勝負強さの秘密を問うと、昇侍はそんな風に答えを返した。
総合格闘技史上最速となる3秒KO、そして日本人では誰もなしえなかったアンドレ・ジダ以来のウマハノフ完全ノックアウト。デビュー2年を待たずして、昇侍は格闘技史に少なくとも2つの金字塔を打ち立てたことになる。
昇侍が所属するKIBAマーシャルアーツクラブのランボー松風代表は言う。
「自分は運動神経ってあまり信用してなかったんですけど、昇侍を見た時は“やっぱり運動神経って必要なんだなぁ”と思いました。こちらが言ったことをすぐにその場でやることができる。とにかく飲み込みが早いしセンスがあった。あまりアマチュアでやる必要性を感じなかったし、短期間でDJ.taikiを抜く自信がありました。いろんなジムでいろんな選手を見てきましたけど、昇侍は素材として抜けてますね。今後にも自信があります」
昇り詰めていく侍。だが、パンクラスデビューからわずか16ヵ月でベルトを奪取したスピードゆえ、その実力にファンの認知が追いついていない現状がある。戴冠第1戦、大石幸史戦を1週間後に控える昇侍を練習場に訪ねた。
(取材・文◎長谷川亮/写真◎山本千代)
三重県名張市に生まれた昇侍は、地元チームのコーチをしていた父親の影響で小学校から野球を始める。好きなチームは横浜大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)。
「弱かったからなんか応援したくなるっていうか(笑)」
そう振り返る昇侍の夢は、当然プロ野球選手になることだった。「そのために生きていたようなもの」とも語る昇侍は中学校までを三重県で過ごすと、高校は山梨にある全寮制の強豪校に入学する。野球留学であった。
「全寮制の学校はどこも同じだと思いますけど」
そんな風に前置きした昇侍の高校生活は、まさに野球一色。授業前の朝練はもちろん、授業後も午後4時半から10時半、6時間におよぶ練習が毎日続けられたという。昇侍の進んだ日本航空高校は3年時に甲子園出場の機会を得るが、昇侍に「出番はなかった」。
※この時の同級生に現・北海道日本ハムファイターズのピッチャー八木智哉(06年パ・リーグ新人王)がいる。
夏を終えると部活も引退を迎えるが、「入学してから2年半、野球しかないような生活だったんで、とにかく嬉しかったですね。もう野球をしなくていいんだって」と昇侍は当時の心境を語る。そして、部活終了とともに昇侍は野球人生にも終止符を打つ。
「とことんまでやったんで諦めもつきました。プロを目指してやってたから、他に中途半端な形でやりたくはなかったし」
